木島平 ペンション びっくりりえたん   親バカ父ちゃん子育て日記

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主役

30年前の11月29日、

大韓航空機が爆破されましたが、

24歳の誕生日を迎えた当時、

ボクは年明けからイギリスへ行くつもりでいました。

 

航空券は旅行会社に手配してもらっていて、

それが大韓航空でした。

 

爆破から数日後、

旅行会社から連絡があって、

予定通り大韓航空を利用するか、

それとも変更するかという話でした。

 

ボクは予定通り大韓航空を利用すると言って、

電話を切りました。

 

この爆破事件の数年前、

同じように大韓航空機がソビエト軍機に撃墜されたはずですが、

その一、二年後に、

ボクは同じようにこの航空会社を利用して、

ニューヨークまで出かけています。

 

若さゆえの、怖いものなしです。

 

撃墜事件はテロとは違ったものですが、

当時も今も、

世界中で気持ちの悪いことが毎日のように起こります。

 

かの国がミサイルをいくら発射しても、

多くの外国人が日本を訪れます。

隣国からミサイルを撃ち込まれるかもしれないとわかっていても、

うちのようなちんけな宿にもお見えになります。

 

皆さん、全く怖いものなしです。

30年前のボクと全く同じ。

 

2014年、フランス、シャンパーニュへ出かけた際、

ロシア・ウクライナ問題が勃発し

マレーシア航空機が撃墜、

その後アイエスの言葉も聞かれるようになった最中でした。

シャルリエブド襲撃事件は、

シャンパーニュへ出かけた三ヶ月後に起こり、

犯人はパリから東部のシャンパーニュ方面へ逃げました。

テロ行為やミサイル発射など

気持ちの悪い事件は現在まで続いています。

 

ボクの体の中では、

30年前より現在の方が、

よほど気持ち悪く感じますが、

それはボクも齢を重ね、

怖いものを怖いと感じるようになったからかもしれません。

 

今と同じ気持ちのボクが30年前にいたなら、

到底、イギリスへもニューヨークへも、

怖くて怖くて出かける気持ちにもならず、

旅する計画すらできなかったことでしょう。

 

不本意ながら、また一つ年を取ってしまったボクは、

今日もカナダ、バンクーバー在住の方と、

やり取りをしていました。

 

決まるか、決まらないかはわかりませんが、

安全に旅行ができるよう、

外国で世話になった人達へのお返しになるかどうか、

彼らのサポートに徹してあげたいと思うばかりです。

 

そしてまた翼や航も同じように旅をして、

多くの人達の世話になることでしょう。

 

いつの時代も、

主役は物怖じせず行動する人達です。

 


クワガタ採集

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52歳に別れ

起床時、

厨房から窓の向こうを見ると、

まだ真っ暗で、

LEDライトに交換された信号機の色だけが、

やけに明るく見えます。

 

弁当、朝食の用意のため、

身体をやや前に倒した姿勢で、

まな板やガス台、配膳台に集中しています。

ふと窓の外を見ると、

いつの間にか明るくなっていて、

遅い朝が来ていたのに気づきます。

 

そのまま突っ走るように一日を過ごし、

夕方、ふと窓の外を見てみると、

また薄暗くなっていて、

また夜がやって来たのかと、

何もできず、何もやれず、

仕事だけを続けた時の流れの速さに、

ただ驚くばかりです。

 

52歳に別れ。

 

伊勢正三、22歳の別れではありません。

 

あと数時間ですが、何の感慨もありません・・・涙。

 

死はすぐ後ろに迫っています。

だからと言って、どこかへ逃げおおせるはずもなく、

明日からもまた弁当、朝食から始まって、

仕事のお客さん、食事のお客さんをお迎えすることに、

まるで変わりはありません。

 

怖くて覚悟などできないけれど、

その日までしっかり生き抜くより方がありません。

 

母に電話でもするか。

 

 

飯山市 木島平村の宿泊

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ありがとう浜村淳です

この地で住まいしていると、
AMラジオは2局しか受信できません。

その2局がおもしろければ良いのですが、
毎日、毎日おもしろい話が聞けるはずもありません。

関西に暮らしていると、
ラジオ局はたくさんあって、朝から晩まで、
たまに飽きることはありますが、
飽きることは少なく、ラジオを長時間、聞いていられます。

母は大阪の毎日放送が好きで、
毎朝、浜村淳さんのラジオをずっと聞いていました。
浜村さんの話しは、とてもわかりやすくておもしろく、
ついつい聞き入ってしまいます。

ボクも中学生頃から、
聞ける日は、ずっと聞いていましたが、
社会人になった頃には、
車で移動中に、ラジオをつけていると、
あまりにおもしろいので、なかなか車から離れられず、
車の中でサボっていたこともありました。

毎日放送をこの地で受信できるのは夜くらいで、
それもノイズが激しい中、
阪神の試合の多くを聞いていたりします。
午前中の浜村さんの番組を聞くことは不可能だったのですが、
こんな時代です。
ネットを通じてですが、
短縮したものを聞けることを知りました。

先週、番組宛てに投稿すると、

「おまはんのメッセージ、さっき浜村さん、読んでくれはったで」

と母が電話をくれました。

番組の最後に、
長野県下高井郡と話してくれたそうです。
木島平村とは言ってもらえなかったようですが、
感激です。

浜村さんも結構な年齢かと思います。

是非とも長く、永く、放送を続けてほしいと思います。


さて、今夜はチェックインがかなり遅い。
もう一度、浜村さんを聞いて、待つとするか。



木島平スキー場の宿泊
 
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コスモスと小菊

華道斑鳩御流の達人は、
家の周りに咲くコスモスと、市場で買った小菊を、
玄関や食堂に、そっと活けてくれました。

午前中の北陸新幹線に乗り、
あっと言う間に、母は奈良に帰ってしまいました。

この新幹線が開業する頃まで生きているかな、
と心配していましたが、
母は元気でいてくれました。
父が生きていれば、
もっと楽しく過ごせたはずです。

超満員のピカピカした新幹線を見送りながら、
きらびやかに見える、自分とは無関係の未来と、
乗っているはずのない父を思い出しつつ、
楽しかった子供時代を過ごさせてくれた両親に感謝していました。


さ、死ぬまで仕事、仕事。



飯山市 木島平村の宿泊
 
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まんさく

野村という姓の同級生達が、
みんな「まんさく」とあだ名されたその時代に、
例外なく、まんさくとあだ名された高校同級が遊びに来てくれました。

女房とは小学生時代からの幼馴染で、
そのまんさくと女房が話しているのを見ると、
いつも兄妹、あるいは姉弟のように感じられます。

まんさくも女房も二人とも小柄なくせに、
ずっとバスケットボール部所属で、
攻撃的なものを内に秘めているのに性格が温厚で、
声のトーンまでよく似ていて、
肉親のように見えるのは、
高校時代から変わりません。

バスケ部の同級が、またひとり亡くなったと話していました。
20代の初めだったか、交通事故で、ひとりが亡くなりましたが、
またひとり亡くなったということです。
ボクの実家にも何度か遊びに来たことがありました。
授業は休んでいるのに、
練習だけ来るような男でした。
明るくて、エネルギッシュなヤツだったのに残念です。

また、バスケ部同級の奥さんが亡くなった話もしていました。
びっくりりえたんにも、家族でかぶちゃん採集にも来てくれていました。
子供もまだ中高生なのに、なんと辛いことでしょう。

その他にも、まんさくは非常に辛い話をしてくれましたが、
自分達も重く辛い荷物を背負いこむ、
そういう年齢になったということを実感します。


家の中は肌寒く、外のベンチにクロスをかけて、
ピザとスパゲティを食べながら、
短い時間を過ごしました。

今度はゆっくり飲もう。



飯山市 木島平村の宿泊

 
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転がる石

あんなに賑やかに、
辺りを艶っぽく、盛り上げていたイロハモミジも、
奈良から戻ると、
一枚も朱い色は残っておらず、
ただ枯れたように見える木々がいくつかあるだけで、
寒々しい景色になっています。

家の周りをふくよかに、暖かく見せていた木々の葉は、
全て散ってしまって、
見慣れた周辺が、細く痩せ、やつれてしまったかのようです。


無事に半世紀も生きられたことは、
素直に両親に感謝しなければいけません。
しかし、もう半世紀も生きることはまずありません。
自分の人生も、あとわずかになりました。

子供の頃は、
時間が経つのが長く、じれったく感じましたが、
いつの間にか、こんな歳になってしまって、
努力不足をちゃっかり棚に上げて、
何もできなかった自分を恥ずかしく、情けなく思います。

18歳のボクが、
今のボクを街で見かけたり、襖の隙間から覗いてみたりすると、
きっと目をそらすに違いありません。

起きて半畳、寝て一畳という言葉は、
慎ましやかな姿勢で人生に臨むべき、
暮らすべきだとの事でしょうが、
現在のボクは、まさにそれを地でいく暮らしで、
18歳のボクは、腹を抱えて、大笑いしていることでしょう。

六畳二間に、家族五人が暮らす様は、
あまりにも窮屈で、貧相な感じかもしれません。
しかし、その暮らしを哀れに感じたことは一度もなく、
むしろ楽しく過ごしています。
ボクだけが感じていることかもしれませんが。

今年の夏、いや、昨年の夏、いや、一昨年の夏以来、
一部屋ないし二部屋を
少ない予算の中で、増築しようと考えていました。
あまりにも少額が過ぎて、
建築屋がそっぽを向いたのもありますが、
今夏、諦めることにしました。
決め手は、国文らしく方丈記を思い出した事と、
友人のひとこと。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
 久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

親と一緒に住まいしようと、
増築した途端、親が亡くなってしまった話を、
中学同級がしてくれましたが、

「家は、いろたらあかんねん」

ついでに、平家物語にもあります。

諸行無常。盛者必衰。

父が亡くなって以後、
なんとなくボクは物を買わなくなりました。
なんとなく身辺整理を始めているのかもしれません。

「まだ早い!」

などと思っている同世代は、
考え直すべき。
十年、二十年なんて、あっという間に過ぎてしまうことは、
自分たちが経験した通り。

人生などはかないもの。

そして、徒然草。

死は前よりしも来たらず。
かねて後ろに迫れり。



これくらいか。五十年目に想うこと。

さ、フランス、行ったろ。
18歳のオレに笑われることのないように。



木島平スキー場の宿泊
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マーマレード

こんがり焼けたトーストに、
マーマレードをぬって食べる。

小学生時代の給食では、
マーマレードは好きではなかったはずなのに、

カナダ東海岸にある
ハリファックスのホテルへ自転車を持ち込んだ翌朝、
久しぶりに食したマーマレードは、とても美味しくて、
それ以来、マーマレードを食べると、
ただただ広かった、広すぎたハリファックスの森の風景を、
甘酸っぱい味と共に思い出します。

孤独を選び、人生の大海原に放り出された、
どうしようもなく若い頃の話です。
きんと冷たい空気まで思い出されます。


今日もマーマレードをぬって、
トーストを食べたいところなのですが、
この甘さが上の奥歯四本にしみて、
うがいも歯磨きもできないくらいに痛くなってしまうのです。

マーマレードだけではなく、饅頭もダメ。
コーヒーに砂糖もダメ。
かぼちゃの甘煮もダメ。
とにかく甘いものを口にいれると、
もう歯がしみて、どうしようもなくなっていました。

やっとのことで、
歯医者さんに出かけました。
左の一本を治療してもらい、ほとんどしみなくなりました。
あと右の三本。

来月には、何も気にせず、
マーマレードを堪能できるでしょうか。


飯山 木島平の宿泊
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無情

長く世話になっていた人のお嬢さんが亡くなり、
昨晩、通夜に行きました。
今日は葬儀です。

自分の子供が、
自分より先に亡くなってしまうほど、
つらいことはないはずです。

お悔やみ申し上げますという以外、
ボクは何を言っていいかわからず、
最後まで、旦那さんや奥さんにかける言葉を
見つけられませんでした。

残された人達は、
これから先も生きることを続けねばならず、
あまりにもむごい時間を過ごすことになります。

ボクだったら立ち上がれないでしょう。
ボクだったら生きる望みなど失って、
廃人になってしまうことでしょう。

それでも、
何度も季節が巡り、
雪が降ることに気づき、
雪が解けることに気づき、
木々の芽吹きに気づき、
花が咲き乱れていることに気づき、
山の彩りに気づき、
そしてまた、雪が舞うことに気づけば、
また生きる力も涌いてくるのかもしれません。

元気な笑顔が戻ることを願っています。


クワガタ採集
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サブライム閉店

19日の夜、この日記を終えてから、
店に電話をいれました。

あと数日しかないはずの、
サブライムを名乗り、
店長の少し疲れた声が聞こえました。

閉店を公表した後のここ数週間は、
連日、断らなくてはならないほどの予約が続き、
店を預かる店長とあねさんは、
てんてこ舞いしていたようです。

この日は、閉店を惜しむお客さんや業者の人達が、
次から次へと、花束などを持ってお見えになり、
行列ができていたということです。

サブライムが奈良の一等地である、
東向き商店街内の三条通にほど近い場所に開店したのは、
ボクがまだ大学生の、21歳になる年の、
夏の終わりか初秋だったはずです。

スパゲティの種類など、
ミートソースとナポリタンしか知らなかったボクに、
見たことも食べたこともない、おもしろい顔をしたスパゲティや、
イタリアンの奥深さを教えてくださったのは紛れもなく店長でした。

そしてその営業のイロハを教えてくださったのは、
その当時、奈良、生駒界隈で
数店舗を率いていた社長であるマスターとママでした。

料理バカでは経営は成り立たず、
商売一辺倒でもそれはまた同じ事で、
決して趣味などではなく、
料理をお客さんに提供して生きていくためには、
それらを程良く融合させる、そのさじ加減、あるいはその頃合いの多くを、
ボクはこの店から学んだような気がします。


マスターとママが、閉店間際の様子を見に来られたと、
その騒々しさと興奮の冷めた次の日、
誰もいなくなり、大型冷蔵庫の電気音さえ聞こえなくなった店から、
落ち着いた声で、店長はボクに電話をくださいました。

深刻な病に侵されているママが、マスターと一緒に、
サブライムの階段を上って来られた姿を想像すると、
変わらぬママの優しさと、
情け容赦ない時代の移ろいを感じずにはいられません。

「何もできなくて、ごめんね」

とニッコリ笑うママが、マスターと一緒に、
ゆっくり階段を下りてゆく姿が、
鮮やかに見えるようでした。

マスターもママもそこにいてくださるだけで、
ボクは安心して過ごせます。

三十年足らずの間、
ほとんど休みなく、突っ走ってきた店長には、
ちょっと休養してくださいと伝えましたが、
性格的にできないのかもしれません。

サブライムは、19日にその灯を消しましたが、
サブライムの一つの分子は、細々と、
そしてまた及ばずながら、ここに生きています。

マスター、ママ、店長に
オープン当初のスタッフを、勝手に代表して、
心より御礼申し上げます。

店長の今後の活躍を、応援しています。


クワガタ採集
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小さく訃報

大学生の頃、漠然と、
ペンションをやれたらいいなぁと思ったことがありましたが、
そんなことはずっと忘れていました。

それを思い出させて、背中を押してくれた本があります。

就職しないで生きるには、
などと物騒なサブタイトルのついたその本には、
ペンション経営での暮らし方が記されていました。

著者は加藤則芳さんという方で、
その人の訃報が新聞に小さく載っていました。

ここ数年、大きな病に侵されていたことは
テレビで知りましたが、とても残念です。

食堂の窓から見える、信越県境の山々に、
信越トレイルを作りに来られていたのも知っていました。
ボクは食堂から見える長野新潟県境の山々に、
登山をする山としての魅力をあまり感じないので、
毎日目にはしますが、歩くつもりはありません。
それでも、同じ山好きの人間として、
また海外の山を歩いた人間として、
とても共感のできる大先輩でした。

加藤さんの本を手にとっていなければ、
ボクは今、ここでこうして暮らしていないような気がします。

迷うボクに、この土俵に上がれと、
最後に背中を押してくれたのは、
加藤さんの本でした。

ご冥福をお祈り致します。


クワガタ採集
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